町内会の行事

kanaihachimanさんのYouTube動画です。
「塞の神」のおはなし

 これは、正月14日(じゅうよっか年越し)の夜から未明にかけて、新年の松飾りやしめ飾りなどを集めて塔を建て、勇壮に燃やし、その年の無病息災を神々に祈願する全国的には「どんど焼き」と言われている行事についてのおはなしです。その昔、金井八幡神社を鎮守の神様として大切にしている各谷戸(地区)の人達により、新年の大事な行事として受け継がれてきた祭事のひとつにこの「塞の神」がありました。新年に飾った松飾りやしめ飾りなどを各家々から集めて、中央に6本の大い青竹を縄で東ね、てつぺんにはダルマをくくりつけた高い塔を建て、さらにその周囲には集めたお飾りや御札ヽ 篠、笹などを積み重ね、大空めがけて勇壮に火を燃やします。

 東京オリンピック(1964年)の頃までは、子供たちが中心の行事で、各谷戸ごとにその大きさ、燃え上がる火の高さを競いました。その火柱は勇壮で、子供たちにとっては、親に気兼ねなく火遊びができる天下御免の日でもあったようです。子供たちは、「正月三ケ日」があけた4日頃から準備に取りかかり、 1年生から4年生までがお正月のお飾りや御札を集め、 5、 6年生が近所から「そだ」を頂いてきたり、山の「くずっ葉」をみんなでかき集め、最後に中学生が青竹を組んで高い塔を建てます。

 谷戸のあちらこちらに赤い炎が燃え立つ頃になると、手に手に三つ又の樫の木に丸い団子(だんごを刺したものを持ちながら、嬉嬉と騒ぎ回る子供たちの姿が見えるようになります。樫の木に刺した団子を燃える塔の火であぶり、これを食べるとこの1年間は風邪をひかぬと言い、焼けた樫の棒をよその人と交換し家の門口に立てると魔除けになり家族は悪い病気にかからず(無病息災)、泥棒にも入られないと言い伝えられています。

 また、書初めを燃やし、高く燃え上がると腕が上達すると言って喜んだものです。書初めを燃やすのは、古くは朝廷で行われ、青竹を焼いて天皇の書かれた吉書を天に上がらせたのが始まりだそうです(吉書始)。この行事は一般的には「どんど焼き」とか「どんどん焼き」と言われておりますが、金井近辺では「せいの神」とか「だんご焼き」と称しました。

 各家庭では、神棚にも小さな枝に団子を刺してお供えをしますが、この自い団子には、かつて養蚕が盛んだった頃「まゆだんご」といって「繭(まゆ)が上作(よくできます)でありますように」という願いが込められていました。団子を繭(まゆ)の形状にして、たくさんの枝に付ける所もありました。養蚕は、かつては唯一の貴重な農家の大きな収入源であつたことがうかがいしれます。
・・・それはそれは、平和でのどかな農村のこころ温まる光景でありました・・・。

2018年会員名簿より